トライアスリートのチカラを東北へ 釜石便り4

2011. 09. 07
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8月26日、9月11日に開催予定だった「釜石はまゆり国際トライアスロン大会」(以下・「はまゆり」)の会場である根浜海岸へ向かった。
東京駅を7時過ぎに発ち、一関駅で降車。ここから沿岸部をめざして陸前高田から釜石漁港、そして根浜海岸へのルートを辿った。当初、編集部のみの取材予定だったが、有り難いことに「一関トライアスロン倶楽部」に所属するトライアスロン歴22 年の登嶋公さんが案内してくださることに。陸前高田に出るまでは、「はまゆり」の安全で考えられたコース、地元の人とボランティアの温かい応援、レース後の秋刀魚やホタテ貝の振る舞いなど、「はまゆり」の思い出満載の道中だった。

 

 

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海を背にして見た陸前高田。瓦礫はほぼ撤去され、何キロか先、山の手前まで見渡せることができる。看板が壊れている高さまで津波がきたのか、それとも流されてきた何かがぶつかって壊れたのか。

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大船渡の付近。線路が日用雑貨や漫画本、調味料の缶、へしゃげた自転車などで埋まっていた。踏切の信号機は跡形もなく、レールのみが残っているだけだが、習慣なのか、踏切があったと思われる手前で速度を落とす車が何台もみられた。


 

 

大会事務局のあった釜石漁港では、岩手県トライアスロン協会の小林格也会長と待ち合わせ、震災当時のお話をうかがった。
「あれはただごとではなかった。津波が来るとわかったから、家へ戻ってかあちゃんに逃げるように言い、近所の家を回って早く逃げろ、逃げろと声をかけた。2階の事務局から海を見ていたから、不気味さがわかったんだ。あれはいつもの海ではなかった。真っ黒な波が轟音を立てて押し寄せてきて、ヘドロのような波にみんな、ぜんぶ持っていかれてしまった」
自宅も漁港の真ん前のビルにあった大会事務局も流され、これまでの大会資料だけでなく、既に刷り上がっていた第21 回大会の要項やポスターまでもさらっていった。

 

実は小さな奇跡がひとつあった。
震災の前週に開催された「トライアスロン博覧会」(東京・青山)に「はまゆり」はPR 出展しており、資料として送っていた今年度大会のポスター1枚と数冊の資料が難を免れたのだ。
ポスターを手渡した翌日、「東和エンジョイデュアスロン」の会場で小林会長は「幻のポスターだ」と広げ、スタッフに見せて歩いていた。

 

 

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小林会長らが避難した崖の上の高台は、TVの映像で何回も流 れた避難場所。大会事務局のある場所から歩いて数分。この近くで小林会長のバイクが見つかった。
「いろんなものが絡みついて見つかった。新しいバイクを買おうかと思ったけど、直して乗ることにしたんだ」

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小林会長(中央)の説明を聞く登嶋さん(左)と吉本編集長(右)。この2階に大会事務局があった。
「逃げたのに、戻って亡くなった人もいる。大会を手伝ってくれた人が、何人も何人も亡くなった」


 

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地盤沈下したため、水がひかない。街中にも水が溜まっているところがある。

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乗り上げた巨大タンカー。調査の結果、「問題なく使えることがわかった」ため、10 月に移動させることになっている。


 

 

釜石駅と漁港周辺はまだ電気が戻っていなかった。信号のある駅前と車が行き交う交差点では、埼玉県警が手信号で交通整理をしている。釜石漁港の周辺の瓦礫は、陸前高田よりも残っている印象がある。津波の高さは壁の汚れで確認できるが、あの高さまで水位が上がったところを想像できない。

 

 

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釜石漁港の近く。更地になっている住居跡もあるが、まだ壊れたままの家も。
「ボランティアの人たちにきれいにしてもらった。電気がないから、夜は真っ暗のゴーストタウンになるんだ」

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「復興・釜石新聞」には、「負げねぞ釜石!」のロゴが。仮設住宅の情報や「がれき撤去進捗情報」が「靴の配布」「汚れた写真の修復」のお知らせなどとともに掲載されている。
「印刷所が流されたから、他県で印刷している。何日かおきに仮設住宅にも届けてるんだよ」


 

 

小林会長と別れたあと、「はまゆり」の会場だった根浜海岸へ向かった。途中、中学生が小学生と高齢者を連れて避難した東中学 校の前を通る。市内の小・中学生がほぼ全員が生き残ったという「釜石の奇跡」といわれる場所だ。校庭には、瓦礫が高く積まれていた。
根浜海岸までの道は津波で大幅に崩され、片道通行になっていた。大型ダンプカーが土埃をあげながら瓦礫や土砂を運んでくるその先に根浜海岸がある。

 

 

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「釜石の奇跡」といわれる東中の生徒は、毎年大会ボランティアとして参加していた。校庭には無数のタイヤや分別のつかない瓦礫が積んであった。

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瓦礫や土砂などを積んだダンプカーが通る。左奥に見えるのは、トライアスリートの宿舎にもなっていた「宝来館」。女将さんは裏山に逃げて間一髪だった。


 

 

根浜海岸にあるレストハウスは傾いてコンクリートの階段は海中に沈み、砂浜は完全になくなっていた。ここにも集落があったようだが、「海岸近くにある山あいの広場」のようにしか見えない。
トランジットエリアやゴールへの花道を案内しながら歩いていた登嶋さんは、集落のあったほうを見て「面影も何も残っていない」としばらく黙ってしまった。「ここにテニスコートがあったんですけどね」という場所には白いラインがはがれずに残っており、辛うじてそれとわかるていどだ。

 

 

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前方には集落があった。杉の木が立ち枯れているのは、塩害か。

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堤防は壊され、レストハウスは傾いて海中に。初めて来た者にとっては、元の場所がどこだかわからない。


 

 

「はまゆり」を育て、大切にしてきた人たちは、「地域の復興がなければ、トライアスロン大会の開催は難しい」という。それでも、「必ずまたこの地で開催したい」と、前向きに行動している。
そのひとつが8月28 日(日)に開催された第1回「東和エンジョイデュアスロン」(花巻市)だ。稲穂が垂れ始めた秋晴れの日曜日、小林会長を含めた70 名近い参加者が集まり、レース後は地元特産のグルメを楽しんだ。
翌週9月4日(日)の「北上アクアスロン」(北上市)は台風の影響でレースは中止となったが、スペシャルゲストとして西内洋行プロを迎え、ミニクリニックや懇親会が催された。
「東和エンジョイデュアスロン」の会場で釜石事務局スタッフが「仮設住宅で困るのはいびきで眠れないことくらい。それも蛙の合唱と思えば、なんてことない」と話してくれた。
大会実行委員会は開催までの準備期間が短かった今年の反省を踏まえ、来年の開催に向けて少しずつ準備していくという。

 

 

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「東和エンジョイデュアスロン」には、子どもたちも大勢参加。未来のトライアスリートにトランジットエリアでの規則やトランジッションの方法を解説するコーナーも。

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バイクコースは傾斜7%ほどのミニヒルクライムを4周回する。小林会長は修理した愛車で東北らしい田園風景を背にレースを楽しんでいた。72 歳とは思えないかっこよさ。


 

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「北上アクアスロン」のレースは台風の影響で中止になったが、西内プロによるミニクリニックが開かれた。西内プロは、故郷・南相馬市に寄り、釜石を経て北上入りしたという。

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「北上アクアスロン」参加者とスタッフの皆さん。台風に負けず、来年も開催を!


 

 

写真提供:一関トライアスロン倶楽部 登嶋公さん